攘夷を貫いた革命軍人
山縣有朋は革命家でありながら京の路地裏や戦場で命を落とさなかった。長生きして権力と財と名誉を手にした。西南戦争後、報奨金で彼が造園した椿山荘の広大な名庭をみると、なるほど山縣の不人気も頷ける。一方、敗れて城山で散った西郷隆盛は終生、質素な暮らしであった。しかし山縣は山縣なりに農民兵からなる<奇兵隊>を政府軍までに仕立て上げ、そして西郷軍に勝ち、ついに武士の世を終わらせたのだ。国防家でもあった吉田松陰先生の危機感を忠実に継承し、猛獣と化していた西洋列強から我が国を守り抜いた<攘夷の志士>でもあったのだ。