占領下七年の苦難の時代
経産省とか外務省とかと違って文部科学省という響きは国民にはあまり良くない。何故だろうかと自分なりに考えてみたが、やはり授業やテストの苦い思い出に帰結するからかもしれない。東大を目指すガリ勉の連中は別として国民の大多数は授業に良い思い出など持たないはずだ。好きな教師よりも苦手の教師の方が圧倒的に多かった。その権化、集中的代名詞が文部省なのだ。しかし、それは少し誤解かもしれない。戦後、焼け跡の中、若き文部官僚たちは義務教育の期間を12才から15才までに延ばし「中学校」という新たな学校を苦難の末、設立していくのであった。