わたしはローマを見た
1582年(天正10年)、織田信長の世に、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノの4名の少年はイエズス会の招きで、ガレオン船に乗って長崎からローマへと向かった。長い航海の末、ローマ法王グレゴリオ13世に謁見して、ポルトガル国王フェリペ2世の晩餐会にも出席し、聖地でキリスト教を学んだ。すべてが日本で布教するためであった。しかし8年の月日を経て帰国した彼らに待ち受けていたものは栄光ではなく過酷な弾圧の日々だった。最後まで生き残っていた中浦ジュリアンも捕縛され棄教を拒み殉教した。死に際して彼は言葉を放った。「私こそはローマを見た中浦ジュリアンだ」