適応過剰の現代人とは
学生時代、無精ひげをして、左派系の雑誌を片手に資本主義の矛盾を熱っぽく語っていた青年が、大企業に就職して10年もすると、小綺麗なスーツを身にまとい、創業者の立志伝や企業理念、新製品の説明を熱心に語りだす。1960年〜1970年代は、このような若者の光景は当たり前になっていた。この現象を専門学的には「適応過剰」と云うそうだ。前頭葉の機能が低下すると人間の特権である批判的精神や創造力と自分の内面に対する洞察力を失うと云われている。学生だけではない。日本人全体がそうかもしれない。戦後、「鬼畜米英」から日本人は間髪入れずに「アメリカ万歳」に適応過剰していった。